堀江美帆展 2019.1.28-2.9

 

天気がいい時を狙って、お袋の散歩に公園に出かける。近くのロケット公園には必ず鳩がいて、その群れの中を歩いてゆくとお袋は必ず抜け落ちた鳩の羽をみつけ、その羽を僕に拾わせる。

ほらそこにも。面倒くさいなあと思いながらひとつひとつ拾って渡す。なんで鳩の羽がいいのよと聞くと、好きなのよ。と強い答えが返ってきた。年老いた母親の目に入ってくるものは、子供の無邪気な姿だったり、道端に咲く名も知れない花だったり、大きな木の幹だったり、ただ目をよろこばすかわいいものばかりだ。

二人で同じ道を歩きながら町の中に落ちているひかりを探してゆく。嬉しそうに何枚かの鳩の羽を持つ母の手を見ながら、これを集めれば天使の羽で籠を編めるかなとふと想像を膨らます。(加島牧史)


新春オブジェ&平面展 2019/1/7-1/26

 

【出展作家】

浅野紋子  石原実   上野健介         瓜生美雪  大橋俊平  小河朋司   河口聖   川口茉莉  北崎洋子        郡司宏   

古茂田杏子 齊藤裕一  櫻木綾子   佐藤千香子 下村順子        角りわ子   高下せい子 田鎖幹夫        武沢昌子  立石有美

田中千絵        谷村優希  手塚真梨子  豊田紀雄        丹尾敏   野崎義成   服部繭            浜田澄子  平井勝正  福田澄子

福本倫   堀江美帆  前田佐久子     桝本純子  丸田秀三  松野節子         森泉笙子  山田泰   米倉三貴

 

1/19(土)19:00~ 江州音頭ライブ モノガタリ宇宙の会(中西レモン,あがさ,北野留美,佐藤みゆき,立石有美) ☆投げ銭


私の茶杓展 12/3-15

出展者

阿部郷子 池田五十鈴 井上とみゑ 井上雅弘 入江美和 上脇辰三 内田孝 内田邦明 押切京子 大槻祥子 片桐敬子 川上恭子 川崎文 可児昌子 

金田洋子 神田佐智子 木村昭子 木村京子 国府田和惠 鯨岡田鶴子 大岩磨莉子 小林淳子 斉藤侑男 

斉藤佳寿子 斉藤夜空 嶋澤綾子 杉村澄江 鈴木桃兎 鈴木雄一 谷岡理絵 辻口和子 鶴巻達也 手代木和 寺田桂子 

都原千恵子 七原稔 野田耕治 畑中恵津子 畑野光男 丸山みち子 茂呂万紀子 矢嶋典子 山田愛 渡辺ちえ 和田光枝 


山田泰展 11/12‐12/1

 

どういう訳か自然と沼の前で佇んでいる自分がいて、このような不安定な絵ができたと山田泰は言う。

自己の内面の旅を始めるとき、人は水辺に呼ばれるらしい。才能とは困り続ける能力のことのようだ。その才能を生きる者にとって、人はその結果でそれを才能と認めるが、当人にとってはただ自然と困らざるを得ない人生を生きた結果に過ぎない。

 

ヴィトゲンシュタインの伝記を読んでいた。最期に傍らにいた婦人は、その人生は悲惨なものだったと証言しているのだが、ヴィトゲンシュタインはこの世を去るときに「素晴らしい人生だった」という言葉を残している。才能を生きる人生とは、その内面と外面は反比例するのだろうか。(加島牧史)


池本洋二郎展  10.22-11.10

 

ふと南方の海に呼ばれることがある。10年に1回とかそんな割合なのだが、必ず変化の前にそんな心境になるのだ。

今年の夏はそんな気分で伊勢まで出かけた。鳥羽からフェリーに乗り、渥美半島までの1時間、はてしない海を眺めながら、人生とはひとつの回帰運動のようなものだなとその航路を味わっていた。同じ楕円の運動をゆっくりと繰り返すひとつの円運動。だが以前この道を辿った時とは10年の月日を経ており、同じ道を通っているのに、また新しい時の流れに向かいながら、同じ場に立っている自分がいた。

海には自分の知らない記憶が眠っていて、それを呼び醒ますためにまた同じ軌跡を廻るのだろうか。船は前に進みながら、後方に流れるスクリューの波紋の中に海の記憶を見つめていた。(加島牧史)

 ーーー

ライブも盛会でした。 

※10/20(土)15:00~17:00 「ギリシャ哲学の会」 茶代1,000円 (毎月1回土曜日開催)

               講師:稲沢公一      テキスト:廣川洋一著「ソクラテス以前の哲学者たち」講談社学術文庫

※10/27(土)   15:00~17:00 「朗読散歩9」 2,500円(1ドリンク付)

                  朗読 土屋誠    ゲスト 北野善知(ピアノ)向井謙一郎(ギター)第1部:加島祥造の世界 第2部:井原西鶴「世間胸算用」より

※10/31(水) 19:00~20:00 村田和樹老師お話し会「清浄(しょうじょう)なるものについて」3,000円(1ドリンク、軽食付)

※11/3(土祝)19:00~     ボサノバライブ「Bossa  Eterna」1,500円(M.C)

               山口夏実(pf)  犬塚彩子(vo&gt) 


〜Kaze 2018 Small Works〜 多摩美大 油絵 鶴見・浅井教室同窓の有志が開く Kaze 小品展  10.1~20

 

 鶴見雅夫 浅井昭 須田基揮 酒井清一 青山幸代 蓮村泰子 荻原宏典 小野仁良 冬室昌宏 菊池明彦 小河朋司 橋本正太郎

 

朋司が多摩美のグループ展をやりたいとの話があって、僕の知らない作家が集うことになった。作品の断片を見ると、今という時代にそれぞれの触り方をしていて、美術は美術の生き方を自律的に生きているようだ。それぞれの作品が自分への触り方をしていて、その屈折した様態が未知への感触を刺激してくれそうな展覧会になりそうで楽しみだ。(加島牧史)


手塚真梨子展 -さわるものとさわられるもの-  9.11-29

 

とまどいの中にとどまることができるのか。そんなことを自分の中に問いかけることがある。どうやり過ごすか、それを探している自分に飽き飽きし、そんな自分に呆れる時があって、この戸惑いの中を深く潜り込み、息をつくことなくどこまで進めるのかを試される。

思いはいつも出口を探し、自分を救おうとするが、それでは自分の思いにしか出会うことが出来ない。そんなふうに困ることが出来ると、人は元の素に立ち返り、そこから答えのない道を歩き出す。

ふと秋の空を見ると、一尽の風が無窮から吹いていて、僕の首元を吹き抜けてゆく。(加島牧史)

 

 


齊藤裕一展  -ガラス造形-  8.20-9.8 

 

ガラスの作品なのだが、一見すると油絵に見え、立体と平面の境が消えかかっている様にも見える。立体は思弁では捉えられないものとしてあり、平面は理念で世界を現わすものとして存在する。それゆえ両者は相容れることはない。

彫刻は決して捉えられない多面的な意義を持って、人を魅了する。平面は決して乗り越えられない絶対にその意義を持ち、人を引きつけてやまない。その両者の距離は無限に分割され、引き離されてゆく。斎藤裕一はその狭間に向って歩いてゆく。(加島牧史)

 


丹尾敏展 -鉄- 7.23-8.10

 

 

人と出会うということは、思えばなんと不思議なことだろう。今年の禅の勉強会に丹尾さんが参加してくれた。その場で、今まで知らなかった丹尾敏に出会うことが出来た。直感ではあれっと思うことがあり、その実像はしばらく顕われてこない。しかしその直感の流れに従うと、その姿がだんだん見えて来る。そこには自分の思い込みが外れ、もうひとつ裸の姿が見えて来る。その出会いは、私の中の自己との出会いでもある。すると不思議な温かい血の流れが腹の底から流れてくるのを感じ始める。人との出会いはこの不思議と共にある。丹尾敏の作品と出会うことはこの不思議さとともにあった。(加島牧史)


下村順子展 6.25-7.14

 

最近、知り得ないもの、辿りつけないものに辿り着くには何通りのやり方があるのだろうと考えている。知り得ないものを、確実に知り得ないが確かにあるのだということをちゃんと知るには、何を勉強したらいいのだろうか。

 毎日毎日、出来るかぎり真面目に勤勉に生活しているのだが、それにもかかわらず、足元の地面が揺れ、パックリ割れた大地の奈落に落ちてゆく。その時こそ知り得ない絶対に身が包まれている時間なのだろうと思う。その知り得ない絶対が、この平凡な生活には不可欠であり、その不可知な絶対と共にこの人生を歩みたいという願いが、祈りとなって、下村順子のこの形を、すがたを作らせているのではないかとふと思った。(加島牧史)


前田佐久子展 6.4-23

 

ただ点を描くことで、前田佐久子の作品が生まれる。ただ点を置くことでこんな世界が生まれるのかと驚かされる。この微妙な世界、この不思議な画面は僕が初めて眼にするものだ。今までこのような表現を見たことがないのだ。何か心の奥底にある触れられたことのない皮膚にそっと柔らかな絵筆で触れられるような視覚の触感を感じるのだ。あまりに繊細で、作品は必ず額装するようお願いし、またこの感覚は印刷されたハガキでは伝わり様もない。是非お出かけの上、この感触を鑑賞いただきたいと思う。(加島牧史)


浅野紋子展 5.14-6.2

 

浅野紋子の絵の画面を見ていて、そこにいろいろな線が描かれているのが見える。その筆遣いに感心した。

 様々な色彩と多様な筆遣いによって、何かを描こうとする画家の意気込みをそのタッチに感じる。扱いの難しい絵具によって、まるで薄いゴム風船を膨らませるように、ある空間をキャンバスの上に膨らませてゆく。針のひと突きではじけ飛ぶような繊細な筆の動きに、浅野紋子は描くことの本道を見つけたのだろうと思う。(加島牧史)


田鎖幹雄 北崎洋子 野崎義成 三人展 4.2-21

あえてまとまらなくてもよいと思う。あえてまとめることをやめてみたくなる。まとめてしまうと何かが外されてしまう。とどまることはとても難しいことだ。その努力と認識だけは持ちたいと思う。

筆を走らせる行為があるとすれば、その描かれた線は影である。行いをとどめ知ることも動きを認識することも本来は出来得ることではない。ただ描かれた絵画の中に、運動の残照を影として認めるしかない。ゆえに人には絵画が必要なのだ。(加島牧史)

 

4/7(土)15:00~17:00 第2回哲学の会 稲沢公一 茶代1,000円


高部としゑ・高部哲男「陶器と写真」展 3.12 - 31

なんとなく本質的なもの。ぼんやりと実質的なもの。あまり肩肘をはらず一本気なもの。あいまいだがはっきりとしていること。いわゆる常識だが、それを振り回すことをせず、いわゆる堅実だがやわらかいこと。それを生きる難しさを知りつつゆっくりと歩くこと。うまく言えないが、いわゆる江戸っ子の生き方というか、人の普遍的な理想というか。言ってしまえば負け戦で、それを良しとして淡々と生きることなのだが、そんな機微が端はしに感じられると、近所づきあいも長くなる。長きにわたってお互いの動向を見守ることになる。まあ、それがまた親から子に伝わる、いわゆるぼんやりとした本質なのだろう。この矛盾の中を生きてきた者に礼を尽くそう。この本質を目指す者に喝采を送ろう。(加島牧史)


河口聖展 -Recollection-    2.19 - 3.10

 

哲学の勉強会を始めることになった。思想史を学んでいくうちに、やはりギリシャ哲学を学びたくなった。同時にユークリッド幾何学を学ばなければならないことに気づく。幾何学の証明から論理学が生まれ、数学的思考の演繹法が生まれ、その推論の上でこの近代という時代の事態が生まれたのだということに気づく。その基礎、根はどこかと尋ねれば、ギリシャ哲学を探訪することになるのだ。河口聖さんのRecollectionシリーズー彼方の記憶が甦るーを拝見した。その幾何学的構成もまたギリシャを思ってのことだろうか。(加島牧史)

3/3(土)16:00~ 山口夏実ピアノライブ M.C:1,500円

3/10(土)15:00~17:00 第1回ギリシャ哲学の会 テキスト:廣川洋一著「ソクラテス以前の哲学者たち」講談社学術文庫 講師:稲沢公一 茶代500円


佐藤千香子展 -バルト海の小さな島で生まれるかたち- 1.29 - 2.17

 

ただ素直になろうとすると意外に難しい。素直に立ってみようと左右に揺れてみるが、素直にと思ったら、その素直さを捜すと分からなくなってしまう。そんな時は何か絶対的なものが必要になり、絶対の前に立たされることでようやく素直に場に立てるようになる。

冬の透明に乾いた青い空がどこまでも続いている。境のない無限な青い空間の中をただただ素直に歩けたらと思う。

 

フィンランドの島で求められた素直は、どんな空の下で生まれたのだろうか。(加島牧史)

 


2018新春平面展 2018/1/5  - 27

 

出展作家

郡司宏・古茂田杏子・高下せい子・北崎洋子・谷村優希・豊田紀雄・平井勝正・宮本綾・河口聖・山田泰・浅野紋子・大橋俊平本多正一

伊藤彰規・手塚真梨子・上野謙介・堂免修・福本倫・市野裕子・前田さく子・小川朋司・森泉笙子・米倉三貴・野﨑良成・田鎖幹夫・樋口慶子


「わたしの今年のかたち」展 12/11 - 29

 

出展作家

森田節子・下村順子・齊藤裕一・田中千絵・瓜生美雪・福田澄子・角りわ子・丸田秀三・川口茉莉・櫻木綾子・佐藤千香子

高部としゑ・服部繭・立石有美・武沢昌子・石原実・丹尾敏・畑中圭介・桝本純子・浜田澄子・天野美帆北山竜


高下せい子・手塚真梨子・天野美帆  三人展     11.20 - 12.9

 

ちょっとした贅沢だな。個性もキャリアも共通点を見つけるのが難しいこれら3人の女性作家に出品をお願いすることは、何か気になるという直感だけだ。ただ言えることは、絵を描くことを、絵にしてゆくことを、ひとつの本能としてもっている作家たちだろうということ。どこを描いているのかという興味があるのだ。描かれなければならない絵が、ただ漠然と白い壁に掛った風景をぼんやりと眺めてみたいという贅沢なんだ。(加島牧史)


齊藤裕一ガラス展「平面」 10.23-11.18

 

齊藤氏のガラスの立体がついに平面になっていた。成るようになったというか、必然の道を辿って平面のガラス作品群が生まれたのだろうか。それにしてもファンキーな作品だなあ。自分の日常の中を見直して作品を作っている、と主は言うが、もしそれが本当ならば、生活は極力地味にも関わらず、その捉え方、感じ方はそれとは真逆なファンキーな脳内生活を送っていることになる。それはやはり齊藤裕一が芸術家として器をもっていることから生まれる現象なのだろう。(加島牧史)


森泉笙子「もうヒトツのソラ」展  10.2-21

 

2011年に、カジマで個展をお願いしてから早7年が経ったらしい。7年前77才だった森泉さんは今や84になり、また銀座のバーで個展を開きたいとのこと。その意欲にまず驚いた。東洋医学では人は7年ですべての細胞が入れ替わるらしい。もうヒトツのソラという抽象世界は、絵を描くことで、果てしないそらを、いわば浄土を新しく見せてくれる場なのだろう。無限に続く純粋抽象の世界を、色と形で求めるその意欲に、森泉さんの全機、全体の生命を驚き入るのだ。(加島)


福本倫展 9.11 - 30

 

 版画の中にギュッと詰まった福本さんのエネルギーを見ていたら、自由にドローイングしてもらいたくなって、今回の展覧会をお願いした。経過をたずねると、エネルギーが溢れるタブローが次々とうまれている。ウーム素晴らしい。

時折、からだの小さい人ほどその身に余るエネルギーを発揮することがある。倫さんもそのひとりかなとおもってみたりして。なんだか楽しみな展覧会になりそうである。(加島牧史)

 9月23日(土)17:00~   YASS 弾き語り LIVE  チャージ1,500Yen(要予約) ※9/23は祭日ですが営業します。


銀座うつわ展 8.21 - 9.9 

気に入ったうつわに出会うことは、思ったより難しい。探しに出かけても、どこへ行けばいいかよく分からないし、さりとて待っていても出会うことなどまず期待できない。ふと目に入った茶碗を買いそびれて後悔したり、思い切って買ったものが意外と手につかず、まったく使わなかったりする。ちょっと非日常的に美しく、実用的で楽しめるというこの勝手な注文に応えてくれる器などまずないからだ。無いものを探している訳だから。なかなか出会わないわけである。(加島)

   ピアノコンサートⅠ  8/21(月) 14:00~     ピアノコンサートⅡ 8/30(水) 14:00~     M.C \2,000   


カルロ・プロイエット 焼き絵展 8.1 - 12

 河口聖さんの紹介で、カルロ・プロイエット氏の焼き絵展を開くことになった。パイログラフィとは、はんだごてのような電気で熱せられたこてで、板を焼きながら絵を描く技法らしい。木材とこての先の金属の変化により、多様な表現が可能になる。素朴ではあるが、あまり見たことのない技法だ。 今回、ミラノのチエアートギャラリーの吉岡チエさんと共に、カルロ氏が来日することとなった。初日の8月1日(火)、カルロ氏と吉岡氏を紹介したく、レセプションパーティを開くことになり、皆様是非お出かけいただくようお願いします。

 8/1(火) 18:00~ レセプションパーティ パフォーマンスとビュッフェパーティ (盛況でした!ありがとうございました)

8/5(土) 14:00~ 焼き絵ワークショップ 参加費 ¥3,000 (詳細はブログをご覧ください)


櫻木綾子展 6.26 - 7.15

 

時折見かける櫻木さんの作品に思いがけない表情を見る。

あまり見かけることのない表現なので、ふと見逃したりする。造形に関する感覚がちょっと普通の思考からずれているように思え、ようやくこんな一風変わった才能があるのだなと思えるようになった。

どうしてこう、ずれて、そして成立しているのか、この不思議な感覚のその先を見てみたいと思った。(加島牧史)

 


田中千絵展 5.15 - 6.3

 

ピュタゴラスは通りかかった街の鍛冶屋が金属を叩く音を耳にし、その音から音階を生み出した。金属の長さを1対2、2対3、3対4にすることで、ハーモニーが生まれることを発見した。金属を叩くことから比率という考えが生まれ、音楽が生まれ、合理的な世界観が生まれた。その比率で構成された音楽は、やがて天文学に適応され、天界のハーモニーを奏でようとする。田中千絵もまたただ叩くことから千絵の宇宙を生み出す。この不思議な形の宇宙のハーモニーを。(加島牧史)


山田泰展 4.3 - 5.13

 

人は存在を問われたとき無限に出会う。自分の有り様が何かと問うことは、いかにも人にしか問えない問いであると同時に、明らかに答えの無い問いでもある。答えようのない問いを問い続けることしか、人が人として生き続けるすべはないように思える。 それは無限に出会うことにつながる。無限もまたつかみようもない概念である。無限が単なる観念で終わるか、そこに力強いリアリティを含ませられるかは、ひとつの問題である。この無限が本当にリアルに感じられないと、この自分という存在の有り様が暗闇から浮かび上がって来ないのだ。(加島牧史)


谷村優希展  3.13 - 4.1

 

谷村さんが版画家になった。そのことが興味深い。最近、自分は反射でしかない、ただただ反映でしかない、と思うようになっている。 道元は正法眼蔵の中で、人は自身自性があるかと誤まると断言している。自分だと思い込んでいる自分など存在しないというのだ。

こんなことを言われても困るだろうが、同時に反射、反映でしかない自分に親しみを覚えてくる。その意味で谷村さんが反画家になったことが興味深いのだ。(かじま)

 

細川智美ピアノコンサート 満員御礼!3/25(土) 開演15:00 (開場14:30)  ¥3,000(スウィーツ&お茶付き、要予約)  


小山けい子のガラスたち展 2.20-3.11

 

 

ガラス絵・サンドブラスト  

浅岡 弘子  大渕 綾子  尾崎 真紗美  栗田 恵子  渡辺 寿子  小山 けい子

      

アルテクルーの伊藤さんのご紹介で小山先生のガラス絵を飾ることになった。サンドブラストとガラス絵を組み合わせた工芸的で平面の作品だ。近年、ガラス作品が身近になってきたように思う。その先駆的作品が飾られることを嬉しく思う。(加島牧史)


天野美帆展 2017.1.30-2.18

 

ふと目に入って来る絵がいい絵だと思う。なかなか出会うことが少ない。ふと描ける絵を描くことはなかなか難しい。

作りながらひとつ蓋をずらし、外すことを求められる。開くことは閉じることから始まる。その中でねじる力を加えながら進めなければならない。分からないまま、内側と外側の境を歩こうとするとき、自分の不思議さに打たれる。時として、天上の大風に耳をそばだてる。聴こえることのない音にリズムをとってみる。(加島牧史)

 


新春をかざる平面展 2017.1.5-28

 

 【出品作家】

北洋崎子 郡司宏 古茂田杏子 高下せい子 谷村優希 豊田紀雄 平井勝正 横山近子 河口聖 山田泰 浅野紋子 大橋俊平 稲岡幸子

本多正一 オーガフミヒロ 伊藤彰規 手塚真梨子 上野謙介 堂免修 浜田澄子 畑あゆみ 福本倫 米倉美貴 前田さく子 宮本綾 竹上晶

 


わたしの今年のかたち展 12.5-29

 

【出展作家】

森田節子 下村順子 齊藤裕一 田中千絵 正成美雪 福田澄子 角りわ子 丸田秀三 川口茉莉 榎本悦子 

佐藤千香子 服部繭 立石有美 武沢昌子 石原実 丹尾敏 桝本純子 天野美帆 畑中圭介 北山竜


福田澄子展 11.14 - 12.3

 

いつもぶれっぱなしなので、たまにぶれていないものに出会うと感嘆する。

いつも何が大切なことなのかと頭では考えるのだが、その切り口ではその大切なものを見失うことが多い。大切なもの自体が、このぶれっぱなしのわたしとともに変わってしまっていたりする。

福田澄子にとって、絵を描くことがぶれずにあることにいつも驚かされる。それがどうしてとか、だからとかいった言葉がついてゆかない。当人がぶれっぱなしだから、その描く行為はぶれることから奇跡的に救われている。それはまれなことなんだ。(加島牧史)


豊田紀雄展 10.24 -11.12

 

豊田さんの顔絵が面白い。電車に乗っていて、人を見ているとどんどん描けてしまうそうだ。存外人の特徴をうまくとらえている。人は長く生きているとどうしてもその人がもつ根が表れてくる。ちょっと豊田さんに自分の顔を描いてもらいたいような、嫌なような不安な気分になる。 (加島牧史)

 


稲岡幸子展 10.3-22

 

たまに絵の言葉を話す人がいる。まるで絵で話をするように絵を描く才能がある人たちだ。普通の言葉では言えないことを絵という言葉で描き出そうとするのだ。絵画言語を獲得することで、人は絵画世界と出会い、その筆先の触覚とともにひとつの新しい道を見つけ出すことができる。稲岡幸子の絵を見ていると、普通の言葉では言えないことを絵の言語で物語っているのかなあと、奇妙な想像を膨らましてみたい気持ちになるのだ。(加島牧史)


上野謙介展 9.12-10.1

 

曲がったウデから生まれる曲線は何を語りかけてくるのだろうか。

失礼な言い方をするが、障害を持った人になぜか強い魅力を覚える。ちょっとこんなものの言い様は健常者側から見た視線のように思え、口はばったいのだが。障害を持った人の魅力とは、素直な存在感が立ち現われていることだ。明らかに個性的な姿が表現されていることだ。上野くんという個性がすでにここに表現されてしまっていることに、ちょっとうらやましい気がするのだ。

 一方健常者は、自覚を求めて、過度になるまで何かを行わなくてはならない。その異常性をもって、ようやく実存が立ち現われてくる。ようやく素直に、そこに安住の場を見出すのだ。いったいどちらが欠格障害者か分かったものでない。(加島牧史)


堂免修展 8.22 - 9.10

最近ピアノを弾いている。ただピアノの前に座り、鍵盤に触れ続けると、音の連なりが表れる。楽譜が読めないから、音楽にはならないのだが、音を出すことで意識が変わり、音に対して敏感になったり、脳の使っていなかった部分がつながったりするようになる。

堂免さんのインクで描かれた点描画を見ていて、僕のピアノと同じ感触を感じる。ペンを持つことで、点を紙の上にリズミカルに置くことで、世界が立ち上がり、生まれ、表出してくるのだ。画家とは、ペンで音楽を奏でようとする人たちなのだろうか。(加島牧史)

 

 

 9/3(土) 投げ銭ライブ  ピアノ 菅野美奈   19:00、20:00、21:00から各30分演奏


郡司宏展 7.18 - 8.6

こんな絵を見せられると言葉がないなあ。絵が説明ではなく、絵そのものとしてこちらに迫ってくる。それに敬意を表するしかない。それが何かと言葉で言えないものがそこに確かにあるとき、人は自分の中の気づかない何かに触られてしまう。

ドロリとした生々しい自分の有り様だ。前回見た郡司さんの絵とは全く違う境地がここにはあって、どうしてこんな絵が描けるようになったのか経緯を伺ってみたくなった。(加島牧史)

 

ボサノバライブ -Bossa Etena- 7/23Sat. 19:30~  M.C 1,800yen

 大塚彩  vo&gt     山口夏実 pf      盛況のうちに終了しました


丹尾敏展 6.27 - 7.16

地下水脈にたどりつくにはどうすればいいのかふと思案する。見えない地下に流れる水を感知する能力に何が必要なのだろうか。丹尾敏の鉄の作品は、どこかこの水脈に触れたことで生まれてくるのだろう。地下水脈とは、言わば一度死ぬことによって再び生きる見ることのない静かな動きのようなものだ。その水脈にたどりつく階段はどこにあるのだろうか。ふと探しに出かけたくなる。(加島牧史)

 

「漂着」 舞踏 雪片

日時 7月9日(土) 19:00~  チャージ 1500円


加島祥造 追悼展    6.6 - 25

昨年末、12月25日に祥造さんが亡くなった。年末でもあり慌ただしい中、葬式は簡素に執り行われた。生前はいろいろな人にお世話になったが、その御礼も挨拶もすることが出来なかった。この追悼展をもって皆様への御挨拶にしたく思う。祥造さんの思い出など語りながら過ごせたらと願っている。 (加島牧史)

 

「祥造さんを偲ぶ会」 2016.6.18(土)18:00~

 

詩の朗読など。

 


福本倫展 5.16 - 6.4

福本倫さんの版画を見ていて、何版を重ねたらこの重層的な平面の世界が生まれるのだろうと想像していたら、一版で刷るのだと聞いて驚いた。どうやら彫りの深さや、インクの置き方でこのような面で切りとられた重層的な空間が生まれるらしい。倫さんは絵の勉強のためにパリのアトリエコントルポワンで13年間版画をまなび、そこでこのヘイター式という技法を習得した。今ここにある空間を具体的に止め置こうとすれば、一枚一枚縦割りのフィルムで切り出してゆくことだろうか。いったい何枚切り出したら、この世界をさらに具体的に見ることになるのだろうか。福本さんの平面的な空間を見ていると、そんな想像に引き込まれる。(加島牧史)


KIRIN 


齊藤裕一展 3.28 - 4.16

何をどうしたらいいのか分からない時があって、どうすればいいリズムが生まれるかを模索する。一つ一つのことをちゃんと決めることが出来れば、一つ一つのことを始めて終わらすことが出来ればいいのだが、どこかいい加減に始めて終わりもしないのに次の事を始めてしまう。

 

作品の中に折り目を付けるとしたら、やはり形はシンプルの方がいいのだろうか。折り目の付けられた方はどこで受け取るのだろうか。作品と作者の中にある融点は赤い温度なのか、黒灰の音なのだろうか。 (加島牧史)


上田靖之新作展 螺鈿の杜シリーズより 3.7 - 26 

遥かに生きていた、自分ではない自分が生きていることに出くわすことがある。夢が夢としての生命をもち、その命を自分の中で生きている。目覚めてみると記憶には残らないのだ。夢の人生を満足しないと朝は訪れない。人はこの掴むことができない夢の生も生きなければならないのだろうか。夢の中には夢を見る眼が確かに存在していて、このうつつの生をどこか馬鹿にしながらこちらを見ているような気がしてならない。 上田さんの絵には、その夢の眼が確かにあって、何日も寝ずに仕事をするという特技をもつ。上田さんは夢の生と共に生きて描く作家なのだろうか。(加島牧史)

 

3/19(土)19:00より 投げ銭ライブ  

高橋保行(trombone.raptop) 不破大輔(contrabass)    池沢龍作(drums.per)


浜田澄子展 2.15 - 3.5

たえず有限は無限から問われている。有限から無限を問うことはできない。無限からはいつでも有限を問うことができるのだ。有限からは無限を感得することはできないのだが、無限からはこの有限をポイと指でつまむことができる。有限からはいくら腕を伸ばしても無限には届かない。それにもかかわらず人は無限に飾りない憧れを抱き、それに近づこうとする。浜田澄子の求める絵の世界も、この基本に沿って描かれている。(加島牧史)

 

2/20(土)19:30~ 投げ銭ライブ「詩とベースのコラボレーション」   詩:加島牧史 ベース:岩原智 

 


桝本純子展 1.25 - 2.13

「ナルニア国物語」の著者C・Sルイスのギリシャ神話をリトールド(再話)した作品、「愛はあまりに若く」はプシュケーの物語である。そのあとがきの中にルイスの言葉が示されている。「神話は天与の食物のようなものだ… それはそれぞれの異なった、また人それぞれに必要な食物である。それは古くもならないし、様々な民族、哲学、あるいは性別の国境で立ち止まることはない。それはまた同じ人間から同じときに、次元の異なった様々な反応を引き出すことができる…」  桝本純子の作品を見ながら、この本を思い出していた。桝本さんにはこの本を読んでいただき、今回の制作をお願いした。(加島牧史)


2016新春をかざる平面展 2016.1.5 - 23

【出品作家】

天野美帆 伊藤彰規 稲岡幸子 上野謙介 大橋俊平 河口聖 北崎洋子 北山竜 郡司宏 古茂田杏子 

高下せい子 谷村優希 手塚真梨子 堂免修 豊田紀雄 林晃久 平井勝正 本多正一 山田浩人 山田泰

最近、ハイデッカーの存在と時間を読むことにチャレンジしている。今冬の宿題はとにかくこれを読破することだ。なんでこんなめんどうな本を読もうとしているかといえば、やはり言葉が欲しいからだ。自分の存在をひらく言葉、自分の中に入る言葉が欲しいからだ。

深く冬の寒さに入り込むことによって、ひらかれてゆく春があるように、もっと深く言葉に入り込みたいと思う。ひらかれた地平と平面を見るために。今年もまた宜しくお願いします。(加島牧史)



「冬至の会」 2015.12.22 19:30~

笛;松田弘之 大鼓:大蔵正之助

ダンス:加島牧史 朗読:林亜紀子 読経:加藤由美子・柳井真弓

 

 

2015 わたしの今年のかたち 展   12.7 - 29

【出品作家】

石原実 上田靖之 瓜生美雪 榎本悦子 川口茉莉 齊藤裕一 櫻木綾子 佐藤千香子 下村順子 菅野栄子 角りわ子 立石有美 

田中千絵 服部繭 原田ユリア 浜田澄子 福田澄子 福本倫 桝本純子 丸田秀三 森田節子

すべては早くて 追いつけない          すべては早く動き、何をもみることができない

動きの中にはほんとうは静止することが含まれている           すべては早くて 誰も追いつくことができない

なのに追いつこうとして        さらに早く走ろうとしている        すべては早くて追いつくことはできない         ああ、はや師走になってしまったよ。 (加島)


手塚真梨子展 11.16-12.5

 本当に必要なものはなにか考えてみると、それはけっきょく詩であり、絵画だったり、哲学だったりする。

必要なものはお米だったり、あったかい服だったり、家賃の支払いだったりする。

でも本当にという言葉が加わると、このあらゆる事物のある世界でこの本当に見合うものを探すと、あらゆる必需品が本当に必要かどうか、その価値があるのかが疑わしくなってしまう。本当に必要なものは、ハミングする歌だったり、どこへも通じている明るい散歩通だったり、うまい蕎麦屋だったり、品揃えがいい古本屋だったり、新聞のおいてある静かな喫茶店だったりする。そういえば手塚さんが東高円寺で喫茶店を開いた。「ℇ」と書いてエと読む店だそうだ。いつか訪ねて無為の時間をゆっくり過ごしたい。(加島牧史)


稲岡幸子展 10.26-11.14

自転車をこぐことが楽しい。先日自転車を新しくした。性能がいいので、二時間で横浜から銀座まで行くことが出来るようになった。この小さな旅が毎度新しい。天候、体調、季節の風景が毎日違う。見えなかった町の情景が目に入り、知らなかった小さな店に立ち寄ったり、銭湯に入ったりして楽しんでいる。自転車をこぐことで知らなかった新しい道を行って見たいと思うようになる。 

 稲岡さんも描くことがただ楽しいのだろう。描くことで新しい広がりや、奥行きを見つける喜びを感じているのだろう。昨年の年末のクループ展に出された富士の絵は小品ながら独特の作品の味があり、記憶にのこった。このただ描く作家の才能がどう展開してゆくか興味深い展覧会になるだろう。(加島牧史)


高下せい子展 10.5 - 24

シンプルに切り込む

後がない恐ろしさに慣れるのに しばらく間を置く

虚に浸食されてゆく空間を確かめなくてはならない

精神に安全地帯などないとわかっているのに 無謀にもトーチカを置く

後悔と共にまた新たな失敗に向けての行進が始まる

このどうしようもない衝動こそが    この作家の生きるエネルギーなのだろう

その冒険に今夜は祝杯をあげよう   (加島牧史)


石原実 染色作品展 9.7 - 10.3

子供の頃泳ぎを覚えるために、父親に海に投げ入れられた時に見た水の風景が制作の原点だという話を石原さんから聞いた。石原さんが育ったという六郷の水の風景を最近よく目にする。横浜から蒲田へ自転車で走ると必ず多摩川を渡る大きな橋の上を通るのだ。旧東海道を選んで走ると、ビルと家々に埋まった街の下に、100年前にあった風景が想像の中で見えてくる。その中で本当に変わっていないものが川の水の流れだ。毎日流れ変わっているものが変わらない姿を見せているとはどういうものかといぶかる。石原さんは染色とは水の表現だと面白いことを言う。水のように当たり前に流れているものをつかまえることが出来ないもどかしさに、人は表現を求めるのだろうか。一心に流れている川の風景に妙に敏感になるのは、からだの中を流れてゆく川を自分が生きているからだろうか。 (加島牧史)


下村順子 陶展 8.17 - 9.5

 

身体がモチーフの作品が中心になりますとの メールがあった。 身体に向かうアプローチはいろいろあるが、 実はなかなか意識化することが出来ない。 当たり前に自分のからだに住み、それと共に 生活、活動しているがゆえに、どうからだと付 き合っているか意識することが難しいのだ。 しかし何をするにもからだと共に生きている のであって、そのからだから離れることはで きないのだから、もう少し身体についての学 びがあってもいいと思う。 美術家が身体をモチーフに することと、舞踏家が 身体をもって作品化 することは全く違って いるように思える。 そもそもからだを 作品化するとは、 どういった動機から 生まれるのか。 その根源的な問いが なぜ生まれてくるのか はっきりしない。 身体に向かう迷いそのものが、 レーベンとしての生を生きることなのだろうか。(加島牧史)  


角りわ子 陶展 7.13-8.1

 

最近自転車に乗っている。家から蒲田まで約20キロ弱、散歩がてら走り、そこから電車で銀座に出る。帰りは大森で降り、蒲田までゆっくり走り、自転車置場から横浜まで1時間半かけて走る。夏に向かって少し痩せようと思ったが、逆に筋肉がついて2キロほど太ってしまった。なんでこんなことを始めたかと言えば、今年で57才になる自分がいて、はや還暦に向かい始めたなと実感したからだ。やはり同じ事を同じ様に続ける難しさを体が感じているのだろう。また新たな生き方を探し始めたのだ。陶芸家の角りわ子も、どこかで同じ様な事をかんじているはずだ。社会全体が高齢化しているなか、切なる今をどう生きてゆくかあらためて問われてゆくのだろう。(加島牧史)


佐藤千香子展 6/22-7/11

 

佐藤千香子はエトランジェであって、たまに店に来てもどこか心はこの国の中では異郷人の風貌をしている。なぜか、そのたたずまいから、中央アジアの遊牧民のイメージがついて離れない。古代の人は、風に誘われぶらぶらと行商に出て、そのままブルガリアに歩いて行ってしまったのだろう。そんなことを千香子の中の古い血はしていたのかなと想像をたくましくさせる。このエトランジェが佐藤千香子に作品を作らせるのだろう。同時に今でもお母さんに、いつまでフラフラしているのよと怒られている姿も目に浮かぶのだ。(加島牧史)


大橋俊平展 6.1~20

 

会社に住み込んでいる大橋が絵を描く時間があるのかなといぶかっていたら、あれっと目を引く絵を描いてきた。これは野獣派?、それとも抽象表現主義か。どこか懐かしい油絵の匂いと、具象にもかかわらず、自己の内面にも関わった表現とが混在し、よくもまあ絵画仕上げてきたものだと、感心した。バラバラの性格は微妙に神経質のままそのまま確固とした人格が形成されている事に驚き、人はとても矛盾したものだと思う。その矛盾と混在がそのまま絵になって成立してことに驚くとともに、今の大橋の有り様が素直に表現させられていることに興味を覚える。(加島牧史)


高部としゑ 陶展 5.11~30

 

ふ と 整 然と し た森 の 中へ 、思 わず 足 を 踏み 入 れ た気 が し た。 な んと 森 は無 理 なく呼 吸 し て い る こと か。 そ の姿 を 支 え て い るも の は満 ち満 ち て い る大 気 だ 。 そ の 中で 作 品 ら が 凛と し て存 在 し て い る。 こ の 陶 の森 を 支 え て い る大 気 が どう し て整 然と し て い る の か 、そ し てそ の空 を支 え て い るも の は何 な の か。 ふ と 思 いを 馳 せ てみ たく な る。   加 島牧 史 


丸田秀三 展 「黒と白」 4.20~5.9

 

丸田さんの作品に黒が出てきた。白磁の技術的な極限まで追求をしていた丸田さんに揺れ戻しの運動が始まったのだろうか。陰極まれば陽に転ずとは易経の言葉だ。とすれはこの黒はいつか玄に通ずるだろうか。変化は歓迎すべきものだ。この黒は明るい色に見える。変化し続けることが、不変にであう道だろうか。(加島牧史)


河口聖展  3.30~4.18

 

最近の河口さんの絵画は何だか優しいバランスが感じられていい感じ。少年が初めて自転車に乗れた時に見た青い空のイメージが湧いてくる。人は還暦を過ぎたときから、忘れていた少年のこころをとりもどすのだろうか。それと共に円熟がともない無駄な主張がない。無駄な主張なんてしている暇がないのだろうな。ただ今描き、飾る。それを素直にやっている河口さんの姿が素敵だなあと感心する。 (加島牧史)


田中千絵展  3.9 ~ 28

 

今回は具象で、とのお題を出したら、色々な形が花開いて出てきた。具象とは何だと言葉で問うても、一向に答えには出会わない。自分にとって具象とは何かと問われたら、手探りの迷いが生まれてゆく。具象という言葉が発せられた時、言葉そのものが絶対化した分からなさを生み出す。その絶対化された言葉を目の前に置き、具体的に迷うこと、分からないままひとつやってみることが、この分からなさにはいってゆくことが、わたしを具象化してゆくことなのだ。(加島牧史)


福田澄子展 2.16 ~ 3.7

 

うちすてられたものと私を感知するときがあり、どうしてここまでたどり着いたのかが思い出せない。明確にそれを望んだワタシが居ることに再び唖然とさせられ当惑する。どうしようもなく、抗いがたいちからに呼ばれ、うち捨てられてしまう。そのことが実は生きている生のワタシの姿なのだ。うち捨てられたものに呼ばれる作品もあって、その力に呼ばれる作家もいるのだろう。それがスミコの作品である。(加島牧史)


谷村優希展  1.26~2.14

 

ライブナイト Peace of Clam

1/31(土)19:30start M.C1,000円

ベース:岩原智 パーカッション:蔡怜雄     

ダンス:斎藤直子 ドローイング:谷村優希

 


春をひらく絵画展 2015.1.5(月)~24(土) 

 

 

浅野紋子 市野裕子 伊藤彰規 稲岡幸子 オーガフミヒロ
大橋俊平 河口聖 北崎洋子 北山竜 郡司 宏 古茂田杏子 
高下せい子  谷村優希 手塚真梨子 豊田紀雄 畑 晩菁  平井勝正 
本多正一 マロン 宮本綾 山田泰 山田浩人 横山近子


12/1 - 27   わたしの今年のかたち  展

12/20  20:00start   X'mas 投げ銭ライブ                                  Bas.岩原智 Vo. Nire from Jagajaga Band

12/27 忘年鍋パーティ 5,000yen


11/10 - 29  森田節子「輪っか」展


10/20-11/8 宮本綾 展


9/29~10/18 池本洋二郎 展

 

10/4 (土)JAZZ LIVE                                                      山口夏実(p.) × 海野舞(vo.)          (g)


櫻木綾子
櫻木綾子

9/8~27 榎本悦子・櫻木綾子 白磁器展

榎本悦子
榎本悦子

Live! 9/11(木) 19:30start    M.C¥1,500.- 【満員御礼。映像を限定公開しています。】

能管: 松田弘之   トンバク・フレームドラム・唄: 蔡怜雄

「古事記神代の巻を踊る」  ダンス: 斎藤直子、加藤由美子、武沢昌子、柳井真弓、加島牧史


8/18~9/6 川口茉莉展


7/14~8/2 関直子展


山田泰「刻露」2014 oil
山田泰「刻露」2014 oil

6/23~7/12 山田泰展

 

7/9 ライブ   アーティストトーク動画あり。 

   Base 岩原智  Par 蔡怜雄  Per 斎藤直子

   アーティストトーク:山田泰