9/11 ダンスライブはお蔭さまで予約満員

  誰のお蔭かと言えばそれは武沢昌子です。なぜか昌子ちゃんはライブに夢中になり、やたらと予約のお客さんを勧誘してくれたのです。今晩も満員だというのにバレーの先生を招待したいと電話があり、困るやら嬉しいやら。バレーの先生が来て我々の踊りを見るのは主客逆連のように思うのですが。まあ音楽がいいからそれで満足してくれればいいかな。

第一部は松田弘之氏の能管と蔡玲雄君の演奏、次に古事記を踊る予定です。その幕間になぜ古事記を踊ることになったのか。その流れをお話ししようと思う。

 そもそも古事記は柳井真弓さんが今年の五月の能登龍昌寺で講義したテーマだったのです。この講義の中で柳井さんが古事記を翻訳した文章を朗読したのを聞いて、僕は初めて古事記がなにか分かったような気がしたのです。それまで柳井さんがなぜ古事記にこれほどこだわって勉強するのかがよく分からなかったのですが。その朗読を聞いて初めて古事記の精神に触れたように思いました。その柳井さんの朗読の声は個人の感情を放し、一本芯の透った凛としたものでした。その印象は清烈に僕の記憶に残り、帰京後突然ダンスの先生の斎藤直子さんに電話を入れ、古事記を踊りましょうといったのです。斎藤さんはまた加島がわけの分からない思いつきが始まったと思い、捲き込まれては厄介だと思ったららしく、真面目に相手をしないようでした。それから松田さんの電話を入れ古事記を踊りたのだけれど演奏をお願いしました。実は松田さんには何度かバーカジマで演奏をしていただき、その笛の響きに何度も驚き、おののいていたのです。あの狭いバーの空間で体験する松田さんの笛の音は強烈なものがあり、これは凄いドラックでした。ドラックとは意識を変容させものの意味で使っています。そして斎藤さんに誘われモダンダンスを始めたことを話すと、今度一度セッションをしましょうとお誘いを受けたのです。その時は口ではやりましょうと言ったものの、松田さんの笛に吹き飛ばされたどうしようもないだろうと、恐れおののき、その話を長い間反故にしてきたのです。その約束を果たすチャンスが古事記でした。

こんなことを最近知って恥ずかしいのですが、古事記が成立したのは7世紀だというのです。案外最近のことで驚かされました。実は日本に仏教が伝来したのも7世紀のことなのです。この古事記と仏教がどう関係するのか、ちゃんと調べてみたいと思っているのです。今の時点の想像では仏教と共にないって来た漢字、文字文化が日本の音世界、伝承文化を文字化するのにこの漢字に無理矢理コトバの音を合わせて作ったのが古事記なのではないか。そんな想像が湧いてきます。それ故古事記は読みづらいものになっているのです。またこの時代、文字で物語を現すことがなかった時代、自分たちの物語をコトバで書くとが出来るという、驚きと喜びのために、先祖たちが、心血を注いだ姿が見えるように思えるのです。それは今まで伝承、口承でしか現れなかった世界は漢字によって表記され、音と形によって全く新しいリアリティーを獲得した瞬間だったろうと想像するのです。

 柳井さんの講義の二日後、僕の発表の日が来ました。五月の正法眼蔵の勉強会では毎度前座の素人先生の講義があり、その後村田和樹老師の現成公案の講義を受けるのが慣わしになっているのです。一応この会はキャラリーバーカジマの主催となっており、その言いだしっぺが、言い出した罰を食らうために、何か話をしろということになったのです。

 今年は散々悩んだ末に、大乗起信論を話すことにしました。ここ数年この勉強会を開催するにあたり、僕のテーマは仏教とは何かが大きな問題となりました。一口に仏教とはなにかと問うことは出来ても、その答えを見出すのは容易なことではありませんでした。いったいどこから勉強したらその答えへの入り口があるのか。いざ探し始めると、あまりの膨大な歴史も前にただ佇むばかりなのです。

 つづく  そろそろ眠くなった。